気象班

ここでは気象班の研究について書いています。気象班の研究には『桃山四郎(本校地学部が命名した雲の名前)の研究『巨椋池のヒートアイランド現象』を詳しく調べています。

桃山四郎


京都盆地に夕立をもたらす積乱雲のうち、都市部の ヒートアイランド現象の影響を受けて醍醐山周辺で発生する「桃山四郎」が 京都と滋賀の府県境にあるゴルフ場の上空でさらに勢力が増す可能性があることを、 突き止めました。

「ゴルフ場は山の中のヒートアイランド。長時間にわたり、 山科や宇治に雷雨を降らせる一つの要因ではないか」と分析しています。
京滋の夏の積乱雲は、発生場所によって「丹波太郎」や「比叡三郎」と呼ばれ 地学部が行った観測で、積雲として京都盆地に入った雲が ヒートアイランド現象に伴う上昇気流を受けて成長し、醍醐山周辺で雨を降らせる
新しいタイプの積乱雲を確認し「桃山四郎」と命名しました。

京田辺のヒートアイランド現象調査に参加

奨励賞を受賞して - 日本気象学会機関紙

生徒と取り組んだ積乱雲観測(バックビルディング積乱雲に迫る)

積乱雲観測写真

・2009.8.20 宇治・巨椋池の自然環境 村山 保

日頃はいろいろとお世話になっておりありがとうございます。高校で地学を教えております。巨椋池について少し研究をしております。巨椋池は宇治、久御山、京都市に跨る歴史も深い場所です。それについて少しお話しさせていただきたいと思います。

これが、私の勤務する桃山高校の天文ドームで望遠鏡があります。結構地域の人にも見てもらっています。桃山高校は伏見桃山城の隣にあります。桃山の丘の上の高くていい場所にありまして、宇治市内も一望できます。気持ちとしては太閤秀吉になったような気持ちになります。北の方を見ますと愛宕山、南は巨椋池一望できます。ひょっとしたら、大正時代には巨椋池が見えたのかなと思いながら毎日見ています。今日は地形図をお渡ししていますが、その1部で赤く塗ったところが桃山高校です。下のほうに白くなっているのが巨椋池干拓田です。巨椋池については、みなさん方のほうがよくご存じだと思います。これは大正時代の写真です。池というよりも沼という感じで深さは深い所でもせいぜい1mぐらいしかなかったという話を聞いています。実はその地層の間から、6月5日の京都新聞の夕刊に載せてもらったんですけども、高校生が巨椋池から化石を発見しました。

巨椋池の昔の姿です。巨椋池は宇治川、南から木津川、桂川、それらが流れこむ遊水池でありました。宇治川の、この矢印のところ場所で化石を発見しました。黄檗付近です。これは発見した高校生です。本校は自然科学科がありますが、その学科の生徒です。彼が指をさしているところ、その深さのところから化石が見つかりました。宇治川の河川敷には「巨椋池の地層」があるということは有名でした。ところが「巨椋池の地層」というだけで時代も何もさっぱり分かりませんでした。ところが今回こんな化石が出てきました。ヒメコガネという昆虫です。この昆虫は鎌倉時代から室町時代に大繁殖をして、いっぱいいました。遺跡発掘では、ヒメコガネができたら鎌倉、室町という時代決定ができる示準化石です。で、これが出てきたということで、巨椋池の地層は鎌倉〜室町時代に堆積した地層であるということが決定することができました。

この虫は広葉樹を食べます。当時鎌倉時代から室町時代の巨椋池の周辺の様子が少し見えてきました。一緒にこんなものも出てきました。これを専門家に鑑定してもらったところヨモギハムシと言いましてヨモギを主に食べていました。その時代には巨椋池の回りにはそういう広葉樹、特にヨモギの葉っぱなんかがいっぱい生えているようなそんな環境であったということが分かってまいりました。いろいろと調べてみましたら、粘土の中から珪藻ができました。この珪藻はシンメラといいますが流れが結構あるところに住んでいます。池といいながら結構流のあるところにいる生物です。このことから多分こんなことが分かってまいりました。調べたのはこの辺です。実は宇治川の流れは巨椋池に流れ込んでいますが、おそらくはその主流はこちら側へ流れていました。流水のある環境にいる珪藻ですから、流れていたということを僕らは考えています。で、こちら側の矢印、ここら辺のところの粘土層も調べてみました。そうすると、このような生物が出てきました。キクノテラ、この生物は流れが全くないようなところで住んでいます。秀吉は大工事をして宇治川を切り離したという話になっていますが、太閤堤は割と簡単な造りです。昨年こんなものが出てきました。これは、三室戸のところで見つかりました太閤堤ですね。調査を近畿大学の鈴木先生がやられました。僕も2,3日おきに見に行きました。2週間ほど雨ざらしになりましたら崩れ始めました。太閤堤といいながら、すぐにくずれてしまうようなもので、上に石を並べているだけです。

おそらく、本当に突貫工事であったのではないかという気がしています。確か30年前頃ですか、槙島でも道路工事の最中にでできました。それも廃材とかを利用した堤防が出てきました。
秀吉が宇治川を切り離して以降の地層も見つかっています。これは斜めにラミナがみえますが、これは、川の流れが作った模様です。また、「地層は古いものだ」と思われるでしょうが、この地層の中から、こんなのが見つかっています。これは何かというと、ティシュです。ティシュが地層の中に入っている。つまり、ティシュが配られてから後に堆積した地層です。引っ張り出しますと、これは武富士のティシュで、江本さんですね。早速、武富士に問い合わせてみたところ、江本さんは平成7年からイメージキャラクタ-ということなんで、先ほどの地層は平成7年の洪水だということが判明しました。実は、このようなテッシュとか、空き缶等もその製造年月日から地層ができた時代が分かるのです。昆虫などの化石を発見するのは大変ですが、ティシュとか空き缶が化石の代わりをしてくれます。どうして、この場所に巨椋池があったのでしょうか。平成13年に京都市が地震調査で地下の地盤調査をやりました。ここが、堀川通りの1番北の北山通りです。そこから堀川沿いに地盤調査をやりました。1番南のほうが新堀川通りの久御山ジャンクション付近です。ちょうど巨椋池の北側のところでストンと落ちています。宇治川沿いに、平成13年に「宇治川断層」という活断層が発見されました。そこのところの断層が地震で動くたびに巨椋池のところでどんどん沈むんです。そして、京都盆地で一番低い巨椋池に粘土層が溜まるのです。京都の水がそこに集まるのは当たり前だということです。宇治川断層が巨椋池と京都市内の境界を作っているのですね。そして、ずっと下に基盤岩として硬い岩石があります。どんな岩石かと言いますと火打石に使われている石です。こんな固い石(チャート)が京都盆地から宇治の地下を作っています。その上に水色で表示した粘土層とか軟らかい地盤です。これから20年ぐらいの間に南海地震が起こると言われていますが、軟弱な地盤が800mもある巨椋池干拓地はとても心配です。おそらく液状化現象が起こるのではないかと思います。これが巨椋池の水田です。これは久御山のあたりから撮ったものです。ずいぶん広大な範囲の水田で、水田があるのとないのとでは気温など大きな違いがあります。おそらく、ヒートアイランドをずいぶん水田が抑制していてくれていると思い調査をしました。これは生徒たちと一緒に考えた仮説です。向島ニュータウンを例にしますと、向島ニュータウンの中心はヒートアイランドでものすごく暑くなっています。すると上昇気流で空気上昇します。すると、水田から冷たい空気が入ってくるのです。そんな風の流れがあるはずだということで、こんな実験をやりました。気球です。ふうせんにヘリウムを入れて飛ばします。それで観測をしましたところ、緑の巨椋池の干拓田のすぐ横にニュータウンがあります。気球は見事に向島ニュータウンの中心に飛んでいきました。やはり、水田からニュータウンの中心に流れる風があるというのが分かってきました。この風が小倉、伊勢田、ニュータウン、伏見などをずいぶん冷やしてくれていると考えています。その時に気温調査も一緒にやりました。ニュータウンの中央が40℃くらい。この付近がヒートアイランドの核です。それに向かって風が吹き込んでいます。で、また違う日にも観測しました。ヒートアイランドで向島ニュータウンの中心は39.5℃、ところが水田の中心は32℃です。随分と温度差があります。ちなみに、表面の温度を測定しました。なんと、アスファルトの表面は60℃なんです。大人は背が高いから大丈夫ですが、赤ちゃんは地面に近いので大変です。暑い日の犬も大変ですね。灼熱をそのまま受け取ります。一方水田は30℃、メチャクチャ涼しいです。やはり、巨椋池の干拓田の影響はものすごく大きいということが分かってまいりました。

これはランドサットといいまして、人工衛星から撮った写真です。水色が温度の低いところです。右上に琵琶湖が見えます。東山、北山、西山、その中の赤いところが京都市内、ところが京都市内の南に巨椋池が見えます。
やはり人工衛星から見ても涼しい。これをクールアイランドと呼んでいます。まさに巨椋池がクールアイランドで夏にはものすごく大切な働きをしているということが見えてまいりました。これは借り物の写真なんですけれど、非常にいい写真です。ハスの咲く季節に、田んぼの中を歩き回りました。池の中にハスが咲いているのはなかなかないですね。蓮池はあるんですけども、このハスは巨椋池時代ですね。巨椋池は干拓田で昔の生物が生き残っています。埋め立てでやっていたら外来生物ばかりになって全く価値がありません。干拓でやったおかげで昔の巨椋池で咲いていたハスが今でも見られるのですね。その他の過去の生態系も残してくれています。

この間宇治でダウンバーストの大きいのがありました。ゴルフ場のネットのポールが折れたという話がありました。実は5年前に、京都市内でもゲリラ豪雨の原因となる新型の積乱雲が見つかり、これに桃山四郎と名付けました。これは、その研究を毛利衛さんのところへ行って発表をしたときの様子です。京都は回りが山に囲まれています。西山のほうがポンポン山、北山のほうは愛宕山、比叡山、それから醍醐山というふうに周囲が山で囲まれています。これが京都に雷が多い理由で、昔から平安時代から雷には名前がつけられています。丹波で発生して京都市内を襲う雷、これを丹波太郎といいます。山城地方で生まれて、京都の街に雨を降らす山城次郎、そして比叡山を越えてやってくる比叡三郎。太郎、次郎、三郎、これは名前の通り太郎が1番きかん坊です。1番暴れん坊で、愛宕山を越えてやってくる。だから愛宕山を超えたこちら側に天神さんがあります。雷をおさめるためにあそこに置いたんやと僕は思っています。積乱雲とは何かといいますと、上昇気流、それも強烈な上昇気流なんです。ところが雨が降り出すと、上の冷たい空気を引きずり降ろします。この引きずり降ろされた冷たい空気がダウンバーストとなります。この風は、雷が鳴って、雨が降るとき、冷たい風がフーと来ますね。それをガストフロントと呼んでいますが、それの強烈なのがダウンバーストです。もっと強烈な現象としては竜巻があります。竜巻は何で起こるのでしょう。今日は竜巻実験器を持ってきました。
普通、竜巻が起こるときは上空に寒気が入ってきます。寒気は重いです。下は暖かく軽い空気です。普通こうしていても水はなかなか落ちません。ところが、自然は「早く重いものを下に降し、軽いものを上にあげたい」のです。1番簡単な方法は、渦を作ることなんです。それで、ものすごい不安定になった時には、竜巻をおこして、早いこと不安定を解消するのです。
普通積乱雲は30分から1時間ぐらいで終わります。ですから、雷が鳴り出して急いで帰らなくても30分待つと止んでしまいます。ところが、最近、醍醐のあたりとか、宇治の辺で降る雷雨は長時間降るタイプが多いのです。それは何故かと言いますと、いくつもいくつも積乱雲ができるんです。何でこんなことになってきたんだろうと考えました。新しいタイプの積乱雲は、京都の街に積乱雲になっては来ません。積乱雲の卵、積雲と呼んでいますが、それでやってきます。そして、京都の街のヒートアイランドに温められて大きく成長します。それが醍醐山でひっかかって止まります。それがダウンバーストを起こします。そして、その風と積雲を運んでくる空気がぶつかります。それが何回も起こります。それによって、ここのところに積乱雲がまたできるのです。このタイプの積乱雲はそうしてできるのだろうと思います。

実は、ドライアイスを使った実験機を作成して実験を行いました。
バーナーであっためられた空気が軽くなるからちょっと上に行きます。やはりヒートアイランド現象が影響しているのだろうなと考えています。これを気象学会とか、気象予報士会で発表しました。すると、京都地方気象台の人が写真を持っているということで戴いた写真です。ちょうど真ん中の奥の方に京都タワーが見えています。その向こう側に醍醐山、桃山丘陵、1番遠くにあるのが鷲峰山です。そこに3つの重なる"かなとこ雲"がたなびいています。これが要するに桃山四郎です。最近は、気象台で資料をくださいといったら、ああ桃山四郎ですかと言ってくれるようになりました。

これは冬に撮った巨椋池の写真です。比叡山が白いです。実は、数年前から、ここのところを駐車場しようという話がでているようです。それは、京都市内のヒートアイランドを抑えるために、京都市内には車を入れない。そのために、ここのところに駐車場を作って、車輸送や電車輸送をするらしいのです。でも、そんなことをしたら大変なことになるということは、先ほどの話しからわかっていただけると思います。京都市内だけではなくて、その周囲の久御山、城陽、小倉、伊勢田、向島の夏は、気温が上がって灼熱地獄になると思います。

これからも巨椋池をしっかりと見つめていきたい思っています。非常につたない話で申し訳なかったですけども巨椋池に、今何が起こっているかということを見ていただきました。どうもありがとうございました。

(講演会より)
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